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父さんと延々

father and forever

降参と戦線(『ラ・ラ・ランド』感想)

『 ラ・ラ・ランド』見てきました。語彙力がなくなるかなりすごいヤバいやつだったのですか頑張って感想を書きます。感想っていうか普段思っていることをわめきちらしています。

ざっくりまとめると、他人の捨てたものに外野はとやかく言えないよね、って感じです。

 

 

あらすじ

夢を叶えたい人々が集まる街、ロサンゼルス。映画スタジオのカフェで働くミアは女優を目指していたが、何度オーディションを受けても落ちてばかり。ある日、ミアは場末の店で、あるピアニストの演奏に魅せられる。彼の名はセブ(セバスチャン)、いつか自分の店を持ち、大好きなジャズを思う存分演奏したいと願っていた。やがて二人は恋におち、互いの夢を応援し合う。しかし、セブが店の資金作りのために入ったバンドが成功したことから、二人の心はすれ違いはじめる……。

『ラ・ラ・ランド』公式ホームページより

 

二人の夢追い人の映画です。 でも二人が「何かを掴んでいく映画」ではなく、二人が「何かを捨てていく映画」なんですよね。二人が夢を掴む過程を描きながら、二人が夢を捨てていく過程も描き出している。叶えられる夢と叶えられない夢とがありますよね、まあ当たり前なんですけど。わたし達は取捨選択の日々を過ごしているわけで。何かを選ぶということは、選ばれなかった選択肢を捨てるということですね。

 

ミアとセブの恋はお互いの夢を前提に始まったので、大前提であるお互いの夢を妨害してまでその恋が成就することはありえない。わたしは大団円は予想していなかったので、それは当然のことのように思えました。徐々にすれ違い始める夏(summer)からの暗転、FALL(秋)。まさに真っ逆さまですよね。二人の夢が叶おうとも二人の関係がここから持ち直せるとは到底思えなかった。

デイミアン・チャゼル監督には『セッション』でも心をヒュンっとさせられていたのでかなり身構えてはいたのですが、何故こうも心がえぐられるんでしょうね。

やはり問題の美しすぎるラストシーンの“if”のせいだと思うんです。

 「あの時ああしていたらどうだったのかしら」は人をひどく苦しめます、後悔の一欠片もない人生を送っている人はほとんどいないでしょう。でもね、だからって我々観客は、セブとミアの人生の一部分を覗かせてもらっていたわたし達は、「あーあ、別れることなかったのに」だとか「キースの誘いに乗らなきゃ良かったのさ」とかそんなこと言える立場にないと思うんです。あの美しすぎるifの世界は最後には現実に引き戻されてたちまち消えてしまいますから。セブは自分の店でピアノを弾き、女優になったミアの隣には別の男性がいますから。その後二人は視線を交わし愛の再確認をします。『いつまでも愛している』はまだ有効なんです。二人が夢に生きている限り、夢を追いかけていたあの頃のミアそしてセブを、今の二人は愛しているのですから。二人が現実を良しとしている限り「あの時ああしていたら」のその先はただ二人だけの悲哀です。それは誰のものでもなく、ただセブとミアだけのものであるべきで、二人だけのララランド(夢の国)です。

どれだけ成功していても、どれだけ才能があっても、人は皆必ず何かを捨てていて、それは誰に何を言われる謂れもありません。得ることが出来るものに限りはあれど、捨てるものに限りはない。何を捨てたって構わない。恋人だって、恋心だって、友人だって、親だって。何だって捨てることが出来るというのが、人生におけるたった一つの安らぎなのではないでしょうか。悲しいですが、本当に捨てられないものなんて何一つないし、本当に切れない縁も一つだってない。それこそが無常である人生を無常たらしめるものそのものでありながら、無常である人生を生き抜くための唯一の救いであるはずなのです。

 この映画を観て、心をえぐられている皆さん、いますよね。わたしもです。自分の捨ててきたものの大きさに「あの時ああしていれば」が襲ってきますね。「なんでそんなことしたんだ」とか「ああすれば良かったのに、勿体無い」なんて他人はああだこうだ好き勝手言ってきますけどね、「あの時ああすれば」は本人だけの特権ですよ。てめえら黙っとけって。人間は本質的に孤独であり一人きりであり個です。深い孤独が生きづらくさせ、また深い孤独だけが生きづらさから救ってくれる。わたしの今もそれに至ることとなった過去も全て残らずわたしだけのものですよ。『わたし以外わたしじゃないの』ってなわけですね外野は引っ込んでろ。何を捨てるかは人それぞれです。どの夢のために他を捨てるのか決めるのも、何を捨てるのかも決めるのは自分です。

 

ここからはブルーハーツの月の爆撃機からですが 

 

ここから一歩も通さない

理屈も法律も通さない

誰の声も届かない

友達も恋人も入らない

 

手掛かりになるのは薄い月明かり

  

人は皆、『白い月の真ん中の黒い点』なんですよね。全ては自分の取捨選択次第という危うい綱渡りの人生の中で、わたしも、かつて捨ててきたものに対して視線を投げかけ「愛の再確認」を出来るようなそんな選択をして生きていきたいものです。そして、あまり他人の選択に対してとやかく言うような外野には決してならないように。

 

セブとミアが歌い出したくて歌い出し、踊りだしたくて踊り出したように、そうしたくて歌を口ずさみ、そうしたくて身体を揺り動かしたくなる映画でした。まる