ものを書くこと・考えることとその力

 

突然だけれど、私はほぼ日手帳のユーザーで、ほぼ日刊イトイ新聞が好きだ。糸井重里さんは本当にすごい。

先日、めちゃめちゃ脚の長い53歳のライブ(吉川晃司のことだ)を観に行く機会があったのだが、その時も同じ種類のすごさを感じた。何かを35年も続けている人のその営みはこれでもかというほどに心を打つ。

「ほぼ日刊」なんて想像するだけで気が遠くなる。私たちはことばを使い日々頭の中で何がしかを考えているが、それを人に見られることばに体裁を整えて、公開する、毎日、毎日、毎日!とても考えられない!

 だけど、本当はわかっている。どうしてこうも伝わらないのかなあとヤキモキすること生きていればしばしばだけれど、要するに伝える力が足りないのだ。伝える筋(きん)が私はヒョロヒョロなんだな。多分、ものを考える筋はちょっとはある。腹筋を鍛えるときは背筋も同じくらいやれってのとおんなじで、ものを考える力と、それを外に出す力はセットで鍛えるべきなんだよね、本当は。知ってるんだけどね、これがむつかしい。

 

吉川晃司はライブの終盤、このようなことを言ったのだ。

「(歌詞が)わけわかんない歌を歌います。誰にも理解されたくない」

 

そう言って、『KISSに撃たれて眠りたい』を歌い上げた。痺れるね。なんだその格好良さは。たしかに訳わからん。めちゃめちゃ接吻を食らってヘロヘロになりたいということなのか。でもわからなくていいとも思う。わからなくてもめちゃめちゃ格好いいので。

わけわからん歌を歌えるのは、それ以外がめっちゃ「わかる」からなんだよね。共感を呼ぶ歌やそういう部分があるからこそ、なんかよくわかんないところも心揺さぶられるわけじゃん。一から十までわからないものって面白くないしね。

 

私も訳わからんけど魅力的な言葉を紡ぎたいので、筋トレを頑張るぞと思うわけです。

目指せほぼ日刊。とりあえず1日目はこの辺りで。

 

 

ロマンティックな夢を

いつまでも追いかけて

最後まで

止まらないぜ!

 

 

おしまい