アイデアの産まれる場所

 

いとも容易く3日分サボってしまった。言い訳をすると、1日はiPhoneを家に置いて外に出てしまったから、2日間は腹部が暴れていた(現在進行形なのだけど)からなのだけど、サボる大義名分を与えられた人間というのはこうも弱いものなのかと、そう思いますね。糸井重里さんはインフルエンザにかかりながらも「ほぼ日刊」をやり遂げていたのですごい人ってのは本当にどこまでもすごい。私のようなあんまりすごくない人間は、「続ける」ってことも、「再開し続ける」から始めなければならない。

 

さて、今日はiPhoneを家に置いてきてしまったこの1日の話をしようと思う。家を出て、在るべき場所にiPhoneが無いことに気付いた時こそ焦りもしたが、まあ予想通りというか、特段不便なわけではなかった。緊急の電話なんか早々かかってくるものでもない。いや、デジタルデトックスをせえ!とかいう話がしたいわけではなくて、何が困ったかというと、このブログを書けなくて困っていた。

私は色々の様々な諸事情で割と電車に乗っている時間が長い。今までこのブツ切れの(乗り換えもそこそこある)時間をどうにか有効に活用出来ないものかと考えていたけれど、本を読むのも(すぐに酔う)、勉強するのも(すぐに酔う)、Amazonプライムでダウンロードしておいた映画やアニメを見るのも(すぐに酔う)全くと言っていいほど定着しなかった。乗り物酔いしやすいからというのも大前提にあるのだけれど、それらはどれもこれも、私にとって途中で意識の途切れるのがどうにも我慢ならないコンテンツたちだった。歳をとったからなのか、本なんかは特にぶっ続けで読みたい。何にも邪魔されずに。ページから目を離して、えーっと、今どこの駅かしら、えっ、溜池山王!?みたいなことやりたくないのだ私は。

「哲学とは、わざわざ潜ること」とは藤山直樹先生の言葉だが。本や勉強や映画、アニメは私にとって「潜るコンテンツ」である。電車に乗りながらは出来ない。そこでこの毎日ブログを書くかという暇つぶしである。これは潜らないコンテンツだ。どちらかというとプカプカ浮かんでいるような、そういう感じがする。勿論私も本腰入れて文章を書くときというのはきちんと座って机に向かったりなどするが、そういう目的の文章たちではない。今までの、料理の話で例えるとすると、ちゃんと書く文章はお店で出てくるプロの料理。この場で書いているものが家庭料理だ。私は家庭料理的な文章の筋トレをしているつもりである。

プカプカ浮かぶコンテンツは電車と相性がいいのだと思う。たった1日や2日でやみつきになってしまった。(同じ画面を見ているはずなのに何故酔わないのかは私にもわからない、しかし書いているときは酔わないのだ。)相性の良さはそれだけではない。電車の中というのはアイデアが産まれやすい場所であるということ、これがある。

『余、平生作る所の文章、多くは三上に在り。乃ち馬上、枕上、厠上なり』とは欧陽脩、帰田録である。馬と寝床とトイレだ。世の中には3Bという表現の仕方もある。Bus,BedそしてBathだ。風呂もトイレも同じようなもんでしょ。違う?家賃が下がれば下がるほどトイレも風呂も一緒にされるし。違うか。とにかく、時の古今も洋の東西も問わず、人間ってのは、何か考えをキャッチするのはこういうプカプカした三上の場面なのだなあということが言いたい。これは所謂、Unthought thoughtってやつなのかな。精神分析モドキな話も追ってしましょうね。なんだかダラダラと長く要領の得ない文章になってきたけど、何が言いたいかって、ふわふわ漂っているアイデアたちを浮き輪をはめてプカプカ浮かびながら網ですくうような、こういう作業はとっても楽しいねということです。とっても楽しいので、みんなもっと長く文字を書き連ねるといいよね。#←こういうのをつけたりしないでさ。最後の最後にちょっと物申しちゃった。てへ

「潜る趣味」と「浮かぶ趣味」についてはこれからも考え続けていきたいね。コーピングがド下手人間なので。

 

おしまい