浮力

 

 

『生活のたのしみ展』が始まった。

https://seikatsunotanoshimi.1101.com/2019_spring/

日曜日には有楽町に行って主人のNEW仕事用カバンを買うというビッグイベントがあるので、ついでに丸の内に寄ってみようかなとチラリと思う。選挙もあるので忙しい日になりそうだ。

https://www.1101.com/m/recent/darling.html

こっちは『今日のダーリン』

「そつがあります」と言い切って笑うのめちゃめちゃ格好良いよなあ。すごい。

ところで、ちょっと心が軽くなったのでほぼ日手帳weeksの今週の言葉を引用する。

四月のいまごろは、戸惑いの時間。

急いでどうにかしようとしなくてもいい。

小さくてもたのしいことを、ひとつでもふたつでも

見つけられたらいいんじゃない?うまくても、へたでも

そこに「一生懸命にいる」ことだけが大事だと思っていい。

  ーーー糸井重里が『今日のダーリン』の中で

 

昨日主人と話していて、ここ最近の気分の沈みまくるとんでもない疲労感に最もらしい理由が付けられた。ここのところ「いい仕事」をさせてもらえてないのだ。

社会にはもう一発逆転はないとわかっていてもとりあえず手をつけなければならない仕事がたくさんあるね。反対に、周りを見回して「いい仕事したな自分」と思えるような仕事もある。そういう仕事の後は、肉体的な疲労はあれど、でもそれは寝たら次の日にはちゃんと元気になっているんだよね。

(こういう仕事あるあるが言い合えるところ、主人の良い伴侶ポイントだと思っている。同業じゃなくても真摯に仕事に向き合っている人間とは共通の言語を持って話が出来るのだ)

「いい仕事」、めちゃめちゃしたい。それは環境のせいだけでなく、勿論自分の力不足もあるんだけどさ。でもね「一生懸命にいる」はずっとやれている気がするよ。「いい仕事」は時の運もあるよね。

疲れ切ってヘトヘトで沈みまくってるのはなにも私だけでなく、昨日は同僚と「最近バタバタで大変だよね」「疲れ具合が全然違うよね」「家帰ったらすぐ寝ちゃう」と口々に言い合って、なんだか少しラクになった。私は「孤独」にも「独りじゃないこと」にも救われる矛盾の塊だ。みんなでじりじりと耐えながら少しずつ潮目が変わるのを待つよ。楽しいことも見つけながらね。

 

もう一つだけ糸井重里氏の言葉を引用してシメに入ろう

お湯にからだをつけて浮力をたのしむ。そして温度というごちそうを、肌から受けいれる。湯気を呼吸して、湿り気をいただく。お湯にじぶんをゆだね、まるごとをやわらかくする。これを毎日やっている人と、やっていない人の間には、けっこうなちがいがあると思うんだ。温泉ばかりがお湯じゃない、もっとお風呂につかろうよ。変温動物のように、お湯に温度をもらいましょうや。

これはほぼ日手帳に「気分を切り替えるヒント」として巻末に載っている。昨晩は、久しぶりにお湯を張ろうと思ったのだったが、残念ながら湯船に入れない状況だったことを失念していた。今日からはまた、22時に家に着く生活が始まってしまうのでしばらくシャワー生活だ。悲しい。本当は私はお風呂大好き人間なのだけれど。

どうかこのブログを読んでくれている人たち、私の分もお風呂につかってぷかぷかしてくれよな。浮かんでると楽しいからさ。

 

おしまい

 

毎日しんどい

 

仕事のことを考え続けていたらこんなに日にちが経ってしまった。毎日考えることの中にも全世界に公開するわけにいかないものが沢山沢山ある。本当は考えることすらいけないようなことだって、相当数ある、私の頭の中には。

 

私は子ども達にもよくこう言って聞かせる。「わざわざそんなこと言わなくていいでしょ。本当はどう思っててもいいけど、わざわざ口に出して人を傷つけるのは良くない」と。

内心の自由と言えば聞こえはいいが、卑怯なやり方だなあと思う。我ながら。

でもまあ、無理だよね。正直ね。私はこのぐちゃぐちゃの心の中に自分がただ一人という状況に他にはもうどうしようもないくらい救われる。ホッとするよね、孤独って良い。結婚は良いものとか前回言っておいてなんだけど。

孤独であることを必要以上に恐れることと、孤独であることに救われることと、どちらがより不健全なんだろうか。でもちょっとくらい後者をすすめる大人が居たって構わないよね。こんな私でも必死に生きてるんだ、見ててくれよ子ども達。大丈夫だからよ。

 

今日はこれくらいにしておこう。多くを語り過ぎるのもダサいのでね

 

おしまい

 

 

今日はしんどい

 

今日はもう体力がないので献立の紹介をします。

 

 

豚丼

玉ねぎと白ネギ、豚バラスライスを炒めて甘じょっぱく煮ます。

 

・小松菜と卵の中華炒め

総味シャンタンのポテンシャルの高さに甘えます。

 

・人参のカレー炒め

細切りにした人参を炒めてフレークのカレールーで味付けします。冷凍のコーンも入れました。

これがめちゃめちゃ仕事出来るナイスガイなので、人参がものすごい速さで細ーくなります。買うと確実に幸せになります。

 

今日伝えたいことはこれくらいです。まあそんなこともある。

 

おしまい

 

 

『きのう何食べた?』にみる生活そのものとしての精神分析的ワークスルー

 

「タチネコで言えばネコ」な西島秀俊が見られるの、心の底から生きてて良かったなと思いますね。テレビ東京五体投地

お腐れ的な感想はほどほどにして、「ワークスルー」の話をしたいと思う。

 

恋愛と結婚の違いなんていうテーマはもう手垢がつき過ぎているけど、要は恋愛には「生活」がないということに尽きると思う。

https://twitter.com/toppinpararin/status/1065125255713181696?s=21

私がTwitterでフォローしている甘木サカヱさんは、『生活には正解も正義もない』と金言を残している。義父母との戦略的同居を選択した勇ましい方の言葉であるからして、いやはや重みが違うね。頭が上がらない。

 

きのう何食べた?』のシロさんとケンジの二人も恋愛関係にあるが共に暮らしていて、もうそこには二人の「生活」がある。

(ちなみに『きのう何食べた?』は浅学ながら原作未履修なのでお手柔らかにお願いしたい

人に言えば十中八九驚かれるレベルで早婚の私は、なにかと「結婚」について語るタイミングが多い。それは「何故その年齢で」とか「それならもう遊べないのね」とか「大変でしょう」とか言われたり訊かれたりするからなのだけれど。

「顔が好きだから何でも許せてしまう」と笑い話にするのがここのところは鉄板になっている。実際顔はめちゃめちゃ好きなんだけれど、ムッとすることはいくらでもあって。その中にも喧嘩に至らず自分の中だけで完結して許せることもあれば、わざわざ言及して口論をすることもある。ここでいう口論は、所謂お話し合いのことね。お話し合いをしたところで解決しないこともある。でもそれも当然のことなんだよな。だってそもそもは他人同士だし。話し合って全てが解決するのなら、戦争も根絶していることだろうね。

ところで「わざわざ言及して」と表現したのはやっぱり出来るだけ喧嘩をしたくないからであって(私個人は口論=お話し合いをすることは好ましく思っている)、それは解決しなくても喧嘩に発展してしまっても二人の生活が嫌が応にも続いていってしまうからである。

ドラゴンボール』の「精神と時の部屋」に二人で入れるならいいかもしれないけど。暴言を吐き続けていたら夜が明けるし、朝が来たら働かなければいけない。どんなに憎らしく思っていても腹が減るし、きっと目の前の男もお腹を空かせていることだろうと類推してしまう。

 

精神分析のことをほんの少しだけれどかじってみて、なるほどなと思うところがある。ああ、あれはそういうことだったのかなと名前が付く。勿論私は門外漢なので臨床経験などちっともない。だけどそれはやっぱり夫婦関係も、仕事での子ども達との関係も、程度の差はあれ、人間と人間の心を交わらせて何かを生み出す営みであるから。私たちの生活にも通じるところがあると思うんだ。

精神分析の詳しいことは、藤山直樹先生の著書(精神分析がなんにもわからない学部生向けの講義を起こしたものなのでとてもわかりやすい)を読んでもらえるといいと思う。

集中講義・精神分析?─精神分析とは何か フロイトの仕事

集中講義・精神分析?─精神分析とは何か フロイトの仕事

 

とりあえず必要な部分だけをかいつまんでいくと、人は「考えること」が苦痛であるときしばしば「繰り返すこと」に置き換えてしまうという考え方がある。何度男が変わっても絶えず殴られてしまう女の人っていると思うけど、何のことはない、同じことを繰り返して幼い頃に父親に殴られていたことを考えているのだ。なんだかこの女と一緒にいると殴りたくなるような気持ちにさせられてしまう、というのは実際あるんだと思う。勿論殴りたい気持ちになって本当に殴る男は良くない。しかし、そういう気持ちに何度も何度もさせてしまう、相手をする誰もがそういう風になってしまう、それを投影同一化と言う。

そういった被分析者に対して、「何か話してください」とやって、解釈を与えて、また話が続いて、解釈を与えて。その関わりの中でなんだか殴りたくなるような気持ちにさせられても、殴らずにこらえる。こらえて、二人でその状況を乗り越える、乗り越え直す。それを「ワークスルー」という風に言う。精神分析とは、ハッとするような鋭い言葉を与える必要はない、殴りたい気持ちになってしまっても構わない、むしろ「殴りたい気持ちになるけど一緒にいる」「一緒にいてやり過ごすことに成功する」そういう営みなのだ。

 

ああこれは、夫婦の「生活」だな、と思う。夫婦じゃなくていい、「家族の生活」だ。どのような人にも大なり小なり内面に病気的な部分がある。それをこらえて一緒にやっていく、それが恋愛と訳が違うところだ。

生活ってなんだかテトリスみたいだって思う。間違ったところにブロックを置いてしまっても、次のブロックは待ってくれないよね、喧嘩をしても次の朝がやってくるように。ひどい言葉をぶつけても、なかったことには出来ない。間違って置いたブロックはもう元には戻せないのだ。その後するべきことはただ一つ。それ以降のブロックをしかるべき場所に確実に置いていって、少しずつ間違いを消していくしかない。一つの謝罪が全てを解決しないように、一つのブロックが状況を劇的に改善してくれることもない。ただひたすら、落ちてくるのを、地道に重ねて、整えていくしかない。ね?「ワークスルー」でしょう?

ケンジの言葉を受け、謝るでもなく食事を作るシロさん。ごまかしていると思いつつも一緒に食べるケンジ。「ワークスルー」だね。

 

私の主人はもうずっと、根気強く「ワークスルー」をやり続けてくれている。おかげで出会った頃より、私の病気部分はかなり小さくなったと思う。こういう風に名前が付けられてホッと出来る程度にまで。感謝しかない。

結婚というのはね、良いものですよ。本当にそう思います。何がどうあっても一緒にいるぞ、って腹くくること、それが「結婚」で、「家族」で、「生活」だね。

 

今日はかなり力(りき)を入れて書きました。まあこんなこともある。

 

おしまい

アイデアの産まれる場所

 

いとも容易く3日分サボってしまった。言い訳をすると、1日はiPhoneを家に置いて外に出てしまったから、2日間は腹部が暴れていた(現在進行形なのだけど)からなのだけど、サボる大義名分を与えられた人間というのはこうも弱いものなのかと、そう思いますね。糸井重里さんはインフルエンザにかかりながらも「ほぼ日刊」をやり遂げていたのですごい人ってのは本当にどこまでもすごい。私のようなあんまりすごくない人間は、「続ける」ってことも、「再開し続ける」から始めなければならない。

 

さて、今日はiPhoneを家に置いてきてしまったこの1日の話をしようと思う。家を出て、在るべき場所にiPhoneが無いことに気付いた時こそ焦りもしたが、まあ予想通りというか、特段不便なわけではなかった。緊急の電話なんか早々かかってくるものでもない。いや、デジタルデトックスをせえ!とかいう話がしたいわけではなくて、何が困ったかというと、このブログを書けなくて困っていた。

私は色々の様々な諸事情で割と電車に乗っている時間が長い。今までこのブツ切れの(乗り換えもそこそこある)時間をどうにか有効に活用出来ないものかと考えていたけれど、本を読むのも(すぐに酔う)、勉強するのも(すぐに酔う)、Amazonプライムでダウンロードしておいた映画やアニメを見るのも(すぐに酔う)全くと言っていいほど定着しなかった。乗り物酔いしやすいからというのも大前提にあるのだけれど、それらはどれもこれも、私にとって途中で意識の途切れるのがどうにも我慢ならないコンテンツたちだった。歳をとったからなのか、本なんかは特にぶっ続けで読みたい。何にも邪魔されずに。ページから目を離して、えーっと、今どこの駅かしら、えっ、溜池山王!?みたいなことやりたくないのだ私は。

「哲学とは、わざわざ潜ること」とは藤山直樹先生の言葉だが。本や勉強や映画、アニメは私にとって「潜るコンテンツ」である。電車に乗りながらは出来ない。そこでこの毎日ブログを書くかという暇つぶしである。これは潜らないコンテンツだ。どちらかというとプカプカ浮かんでいるような、そういう感じがする。勿論私も本腰入れて文章を書くときというのはきちんと座って机に向かったりなどするが、そういう目的の文章たちではない。今までの、料理の話で例えるとすると、ちゃんと書く文章はお店で出てくるプロの料理。この場で書いているものが家庭料理だ。私は家庭料理的な文章の筋トレをしているつもりである。

プカプカ浮かぶコンテンツは電車と相性がいいのだと思う。たった1日や2日でやみつきになってしまった。(同じ画面を見ているはずなのに何故酔わないのかは私にもわからない、しかし書いているときは酔わないのだ。)相性の良さはそれだけではない。電車の中というのはアイデアが産まれやすい場所であるということ、これがある。

『余、平生作る所の文章、多くは三上に在り。乃ち馬上、枕上、厠上なり』とは欧陽脩、帰田録である。馬と寝床とトイレだ。世の中には3Bという表現の仕方もある。Bus,BedそしてBathだ。風呂もトイレも同じようなもんでしょ。違う?家賃が下がれば下がるほどトイレも風呂も一緒にされるし。違うか。とにかく、時の古今も洋の東西も問わず、人間ってのは、何か考えをキャッチするのはこういうプカプカした三上の場面なのだなあということが言いたい。これは所謂、Unthought thoughtってやつなのかな。精神分析モドキな話も追ってしましょうね。なんだかダラダラと長く要領の得ない文章になってきたけど、何が言いたいかって、ふわふわ漂っているアイデアたちを浮き輪をはめてプカプカ浮かびながら網ですくうような、こういう作業はとっても楽しいねということです。とっても楽しいので、みんなもっと長く文字を書き連ねるといいよね。#←こういうのをつけたりしないでさ。最後の最後にちょっと物申しちゃった。てへ

「潜る趣味」と「浮かぶ趣味」についてはこれからも考え続けていきたいね。コーピングがド下手人間なので。

 

おしまい

 

筋トレと料理

 

ものを伝える力以外で、筋トレに類似していると私の考えるものに料理がある。

手前味噌ながら私はまあそこそこ料理が出来る。勿論プロの料理人には遠く及ばないが、家庭料理は概ね作ることが出来る。ここで主題をより正確に表すならば、家庭料理とは筋トレである、と言いたい。要するに、やればやっただけ力がつくのだ。

多分私は料理の才能はない。そそっかしいし、面倒くさがりなので。しかし、料理を飯の種にすることは出来ないけれど、家庭料理を毎日作り続けることは(そりゃたまにはサボるけど)出来る。家庭料理と店で出てくる料理との大きな違いである。雪が降ろうと槍が降ろうと自分が自分(あるいは家族も)の腹を満たすために、毎日作り続ける必要があるのだ、家庭料理とは。だからある程度テキトーにやることが大切だ。本当にさ。

おそらく筋トレも、全く筋肉が付いていないのにハードなワークアウトをしようとすると三日坊主に終わってしまうのだろう。料理も一緒で、筋肉がついてくると技巧を凝らしたり季節感を加味した料理も日々の食卓に織り交ぜることが出来てくる。というか、やりたくなってくるんだな。ムキムキの人って自分の筋肉を更にいじめ抜くの好きな傾向にあると思うけど、料理もそう。ちょっと自分をいじめて普段作らないもの作ったり、料るのが面倒な食材に手を出したりしたくなる。ここまで来たらもう勝ちも同然だ。何と勝負してるのかわからないけど。

何と勝負してるのかって話になると多分「自分」なんだろうね。筋トレも料理も楽しむ余裕が出てくる。そういう工学的な意味であるところの「遊び」のあるかないかが人々の目指すところなんだろうなと思ってみたり。

愈々何が言いたいのかわからなくなってきたので今日のところはこの辺りでシメにかかろう。

昨晩、私より早く帰宅した主人が夕飯と今日のお弁当用にと卵焼きを二本焼いてくれた。

普段料理をしない主人曰く、「『俺は庶民の卵焼きを作るぞ』と思えば卵焼きは作れるものだな」

そうだ、それなんだ。つまりそういうことだ。

背伸びしない、仮にしたとしても背伸びし過ぎないことの積み重ねだよね。食べることは生きることに直結しているので。

 

今日も今日とて夕飯の献立を考えながら

 

おしまい

 

ものを書くこと・考えることとその力

 

突然だけれど、私はほぼ日手帳のユーザーで、ほぼ日刊イトイ新聞が好きだ。糸井重里さんは本当にすごい。

先日、めちゃめちゃ脚の長い53歳のライブ(吉川晃司のことだ)を観に行く機会があったのだが、その時も同じ種類のすごさを感じた。何かを35年も続けている人のその営みはこれでもかというほどに心を打つ。

「ほぼ日刊」なんて想像するだけで気が遠くなる。私たちはことばを使い日々頭の中で何がしかを考えているが、それを人に見られることばに体裁を整えて、公開する、毎日、毎日、毎日!とても考えられない!

 だけど、本当はわかっている。どうしてこうも伝わらないのかなあとヤキモキすること生きていればしばしばだけれど、要するに伝える力が足りないのだ。伝える筋(きん)が私はヒョロヒョロなんだな。多分、ものを考える筋はちょっとはある。腹筋を鍛えるときは背筋も同じくらいやれってのとおんなじで、ものを考える力と、それを外に出す力はセットで鍛えるべきなんだよね、本当は。知ってるんだけどね、これがむつかしい。

 

吉川晃司はライブの終盤、このようなことを言ったのだ。

「(歌詞が)わけわかんない歌を歌います。誰にも理解されたくない」

 

そう言って、『KISSに撃たれて眠りたい』を歌い上げた。痺れるね。なんだその格好良さは。たしかに訳わからん。めちゃめちゃ接吻を食らってヘロヘロになりたいということなのか。でもわからなくていいとも思う。わからなくてもめちゃめちゃ格好いいので。

わけわからん歌を歌えるのは、それ以外がめっちゃ「わかる」からなんだよね。共感を呼ぶ歌やそういう部分があるからこそ、なんかよくわかんないところも心揺さぶられるわけじゃん。一から十までわからないものって面白くないしね。

 

私も訳わからんけど魅力的な言葉を紡ぎたいので、筋トレを頑張るぞと思うわけです。

目指せほぼ日刊。とりあえず1日目はこの辺りで。

 

 

ロマンティックな夢を

いつまでも追いかけて

最後まで

止まらないぜ!

 

 

おしまい