無けなしの命がひとつ

 

私の前にしゃんとした老婦人が歩いていた。そこそこの量の荷物を両手に持ってエスカレーターに乗り込んだ。背後から少し失敬して覗くとトートバッグには書類の束が入っていた。キチンとしたツーピースのお召し物に少し高さのあるヒールで、何か一仕事終えてきたようなそんな様子だった。

「こんなババアになりたかったなぁ」と思った。褒めているし、めちゃくちゃ敬意を表している。羨ましいんだ許してくれ。すげぇばーさんだよ。田舎にいる私の祖母とは大違いだ。私は多分祖母のように、老化によって人間が変わり果ててしまう側だ。私は今目の前にあるような「素敵な年の重ね方」は出来ない。出来る自信がない。だから私は63になったら死ぬ。そう決めている。

素敵に年を重ねられる人間は、私と比べて10年よりもっと長い時間社会に尽くすことが出来る。素敵に年を重ねられる人間は、私よりも十数年分あるいは二十年分は有用性が高い。

こんなじゃダメなんだろうなと思う。もっと私に与えられた無けなしの命を使い尽くして生きていかなければならないのだろうと、思う。

自分を追い込んで追い込んで、出来ることなら過労死で死にたい。そうすれば許される気がする。誰にだろう。多分自分自身にだ。そこまでは流石に出来ないんだろうけど。

命、積極的に削っていきたい。これが私の望んでいたゆるやかな心中である。

 

 

おしまい