氷鬼と全力で何かを誰かとやることについて

 

今日も今日とて寒い。しかし「寒いから部屋の中にいよう」は大人の言語なのでそんなことは子ども達には通用しない。今日は氷鬼をしてたくさん遊びました。私は大人なので寒空の下延々と走り続けた結果膝を痛めてしまいました。動かす度にキシキシいうよ。うーん、残念。

 

私は子どもだったときは(別に今も特別得意でもないんだけど)運動神経悪い芸人だったので、氷鬼なんてやろうもんならずーっと凍ってるかあるいはヘトヘトになっても誰も捕まえられないかだったのだが、大人になって「自分の身体の適切な動かし方」というものをある程度理解してかなり動けるようになってからは、こんなに良い遊びはないよなと思う。

何が良いって、「助けてー!!」って叫ぶとその身を挺して誰かが助けに来てくれるんだ。それも全速力で走って来てくれる。当たり前だ、歩いていると自分が捕まるので。だけどこれが良いんだな。颯爽と現れて、タッチして助けてくれて、また颯爽と駆けて。頑張って頑張って走ってる姿を見ていると心からありがとねと思う。自分が助けてもらうと、他の凍ってる仲間を助けてあげたくなるのも良いところだよね。よっしゃわいもやったるでという気持ちになる。例えば鬼が見張りをしてたりなんかして、間合いを取りながらどうしたもんかなと考えていると同じく助けに行こうとした仲間が逆サイドからそっと近づいてきて、アイコンタクトだけでタイミング合わせて、せーので走り出せた時にはもう、気持ち良すぎて脳味噌がバチバチするよね。しない?するんだよこれが。

「アイツ脚が遅くてすぐ捕まるし」とかって助けてあげないとかそういう意地悪な気持ちを遊びに持ち込まない子どもたちで、本当に心根の優しい良いヤツばっかだなぁと思う。良いヤツなんだよ、子どもたち。大好きだ。

「全力で何かをする」を一緒にやってる奴とはある程度仲良くなれるの当然だと思うんだよな。趣味が合うかどうかとか性別とか年齢とか関係なくなってさ。子どもだけじゃないじゃん、大人同士もだよね。本気でやってる奴って手を貸したくなるし、助けてあげたくなるし、味方したくなるし、そうしたら次は自分が助けられたりするんだな。

だから、大人と子ども、自分の子どもじゃない子どもね、言うならば大人一般と子ども一般とが「全力で何か」を出来るといいのになと本当に思うよ。そういう場があればいいのになっていうか。私は職業上子どもたちと全力で氷鬼とか色々が出来るからいいけど。スポーツでも音楽でもオンラインゲームでもカードゲームでもFortniteでもスマブラでも何でもいいと思うんだけどさ。大人には易しすぎないで、子どもには難しすぎないで、誰かがつまんない思いしないことをさ、一緒に出来たらさ、大人と子どもとだって仲良く出来るのにね。ねぇ。

 

ラブアンドピースのことを考えながら私はロールキャベツを温めるよ。今夜も寒いね。皆さんご自愛くださいね。読んでくれてどうもありがとう。

 

おしまい

 

二千円(税抜き)で髪を切ったことと大人な私について

 

私はその昔、めちゃめちゃ髪が長かった。臍くらいまであったかと思う。何度かバッサリとボブくらいに切ったこともあるが、そのたびに再び伸ばして伸ばして伸ばしきっていた。だから髪がめちゃめちゃ長かった「その昔」というのは二年前のことでもあり四年前のことでもありはたまた七年前のことでもある。記憶が正しければね。

3歳の頃ぶりにショートカットにしたのは今年の1月下旬だ。また伸ばしたいという気持ちもありつつも、そこそこ評判も良く、日頃の手入れの楽さに病みつきになってしまいもう9ヶ月短いまま過ごしている。そろそろ首元が寒くなってきた。また季節が一巡してしまう。

1月の下旬、私の髪を素敵にショートカットにしてくれたお店はカットが六千円だった。それはそれは良いお店で、およそ20年ぶりのショートヘアがとても気に入ったのはその店員さんの手腕によるものなのだけれど、いかんせん私にはお値段が高過ぎた。ショートって維持するのが大変なんだね、知らなかったよ。ひと月半にいっぺん六千円(プラス税)飛んでいくのは懐にちょっと厳しかった。はてさてどうしようかなと思っていた時、主人(シャイ)が通い慣れた美容院を変え、開拓する決意を固めた。彼もまた、毎月のカット代にしばらく頭を抱え続けていたのだ。私は近所に出来たカット二千円のお店を試しに勧めてみた。

http://www.fasssalon.com/concept/

ここだ。

予約も要らない!飛び込みOK!なんて画期的なシステムだろうか。切り終えた主人を見ても正直今まで通っていた店とそこまで差はないのではないかと感じた。女性客も居たと言うので、私も試しに行ってみることにした。ひと月半毎に行くと言っていたのにもう2ヶ月半をゆうに超えていて前の店に行くには大変気が重かったのだ。

そんなこんなで私は税抜き二千円で髪を切ってきた。シャンプーしないだけで、受付が簡素なだけで、本当に二千円でいいのだろうか。お店の経営が心配になるくらい十分に満足出来る仕上がりだった。

美容院の予約ってのが私は本当に嫌だった。事前に予約をして、その時間に美容院に行かなければならないというのがとても苦痛で、だってその日その時間にならないと髪を切りたい気持ちになっているかどうかがわからないじゃないか。切りたいと思ったその時が切りたい時なのだ、電話をかけた時はそうであっても、店に行く時もそうとは限らない。シャンプーの時間も嫌だった。心もとない薄いコットン(?)で目元を隠されて、そのすぐ向こう側では私の髪をキラキラお洒落な美容師さんが洗っている、手持ち無沙汰で、無防備な状態で、特に話すべき話も思いつかない。そんな時間が私はとても苦手だった。とにかく私は美容院というものが苦手で、いつも美容院ジプシーなのだった。

私はここ最近本当に自分の見た目に頓着しなくなった。早々に結婚も果たしてしまった今、特に美しくなりたいという動機もない。髪を切った当日は、朝起きて、溜まりに溜まっていた家事をこなして慌てて家を出てきたのでなんと素っぴんのままだった。それでもなんの問題もなかった。むしろ肌が綺麗だと褒めてもらえた。お世辞だろうけど。美容院で髪を切り終えた後、すぐに家に帰るのに色々を髪につけてセットしてもらうのも苦手だったのだが(私にはそれを断るのすら難しかった)、セットなんかしてもらわない。何故なら私は素っぴんでやって来ていて、この後家に帰るだけなのは明らかなのだ。むしろ家に帰ってすぐに自分でシャンプーしたかった。ちなみにこの日美容師さんと話したのは、どれくらい切りたいのか、その店に来た経緯と家族で共有出来るというポイントカードの話、それと家が近いということだけ。後はずっと押し黙っていた。それが心苦しくもなかった。他のお客さんも特に会話を楽しんでいるわけではなさそうだった。店内は静かでハサミの音が響いていて、そこにいるのは髪を切るため、ただそれだけの人たちばかりだった。お客さんは勿論、美容師さんも、ひょっとするとそうなのかもしれないと思った。

控えめに言ってサイコーだった。浮いたお金で文庫本を二冊買った。(主人よ、来月以降は節約するのでどうか許して欲しい。)なんて私は自由なんだろう、そう思った。2,160円で髪を切り終えた後の私は言いようのない開放感に満ち溢れていた。

 

今日、小学六年生の女の子が「大人になりたくない」と冗談交じりに言ってきた。秋は急に深まるし、卒業を控えて物悲しくなるのも無理はない。そうだよね、卒業寂しいよねとは言ったものの、私は高らかに断言してみせた。「でも私は大人になってからの方が楽しいよ」「大人ってめちゃくちゃ良いよ」

私は髪を二千円で切ったけど、それが偉いわけじゃなくて、二千円でも千円でも、五千円でも一万円でもいい。いくらかけて髪を切ったってなんだっていいのだ。そういうところに大人の醍醐味があると思う。自分で選び取ることが出来るっていうのは何事にも代え難い喜びだ。

私は嘘偽りない気持ちを彼女に伝えた。大人ってのは全くもって素晴らしい。これからも大人って良いものだと触れ回りたい。良いものである「大人」であり続けたい。そうするのが、これから大人になる子ども達に対して一番真摯に向き合う方法だと思うのだ。

 

これから大人になる皆さん、心配せずに大人になって下さい。大人ってのはサイコーです。読んでくれている大人の皆さん、ねえ、そうでしょう。そうだと言ってくれよな。

 

 

おしまい

 

 

 

 

1年前のきょう

 

 7月25日か。窓の外を見遣って、ああなるほどね、得心する。今朝起きてからずっと感じていた懐かしさのその理由を知る。一年ぶりの、7月25日だ。7月25日が懐かしい、勿論その気持ちもあるが、一年前からきっかり一年経って同じ7月25日がやってきたことに郷愁を覚える。今やもう何もかもがかけ離れてしまった、秩序だった「正確」に。

 カレンダーがカレンダーとして機能しなくなってから何年経ったかわからない。何故ならありとあらゆるカレンダーがバカになってしまったので、誰一人過ぎゆく時を正確に数え上げることが出来なくなってしまったからだ。より正確にはカレンダーがバカになってしまったのではない。バカになってしまったのは世界の方だそうな。何年か前だかの4月1日の明日に、やって来たのは4月2日ではなく8月7日、立秋だった。それまでの麗らかな春の陽気とは打って変わっての真夏日に日本列島は混乱した。当然だ、その日は全世界が4月2日だと思いこんでいた。しかしその暑さの原因は地球温暖化でも太平洋高気圧でもなかった。その日、昼と夜の長さとがほとんど同じだということに気付いた人間はあまりいない。世界の変化はあまりに唐突に訪れて、そこら中を歩いて予想もしなかった暑さに喘いでいる人々は日の出、日の入りを観測したりなどしていなかったから。その日は日の出も日の入りも、正しく4月2日であったとしたら到底ありえない時間に起きていた。計測器に異変が起きたのか、全国の気象関係者はそう考えたかもしれない。この気候変動は一体どういうことなのか、殺到するマスコミに答える言葉もなく頭を抱えただろう。しかし後になって気付いてみれば簡単なことだった。4月2日ではなく8月7日が来た、ただそれだけのことだった。

 勿論、現実は「ただそれだけのこと」なんて言葉では片付けられない事態だった。今でこそ人々はこの出鱈目な毎日に完璧に順応しているが(人類はほんとうに逞しい)、当時は天地がひっくり返ったような状態そのものだった。蝉が鳴いた次の日に雪が積もり、また次の日には土筆が土から頭を出した。はじめ人類は、気候がめちゃめちゃになっているのだと考えた。しかしどうやらそうではないと気付くのにあまり時間はかからなかった。タンスの中身が毎日気候に合わせて夏服、冬服、また夏服と入れ替わっているし(対応して押入れの収納の中身は冬服、夏服、冬服となる)、23時59分まで寝苦しい熱帯夜だったのが、日付が変わって00時00分になった途端、街にクリスマスツリーが出現し、辺りが星やサンタクロースのオーナメントや赤やら緑やらで飾り付けられたりした。どうやら12月の何日かがそっくりそのままどこからともなくやって来た、そういう風にしか解釈出来なかった。勿論クリスマス商戦に街が湧いたのはその日っきりで、その次の日はまた別の季節のどこかの一日がやってきた。その繰り返しだった。小説家の書き進めている原稿も、学生が熱心に板書したノートも、ビジネスチャンスに繋がるビッグデータだって、全ての情報が一日一日の連続性を失っていた。これが書き留めても書き留めても世界がおかしくなってから一体どれだけの時間が経ったのかがわからない所以だ。当然と言えば当然だ、7月31日に上書き保存したファイルは、どこかに行ってしまった8月1日には同じフォルダに収まっているだろうが、7月31日と8月1日が連続してくれない。唯一連続するものは、人々の頭の中のものだけだった。(それも「忘却」という機能のせいで大変心もとないのだが)

 集団催眠だとか、陰謀論だとか異星人の侵略行為だとか諸説飛び交っていて、何年か経った今でも解明出来ていない。いつしか人々は何故世界がこんな風になってしまったのかについて考えることをやめてしまった。なんだっていいんだ。何が原因だろうが、毎日はバラバラにやってきて、それはいつかどこかにいる「本当の明日」に繋がるのだから。ちなみに私が一番支持している説はこうだ。我々のこの世界は、我々よりも大きな存在が遊んでいるパズルであり、一日がその一ピースにあたる。ある時キッチリはめられていたいくつものピースがひっくり返ってバラバラになってぐちゃぐちゃに配置された。それが今の世界で、大きな存在は今現在、ちまちま地道にパズルをやり直しているのだろうと。この説を信じている人は少なくない。ちなみに、その大きな存在は崩れたパズルを放棄したのだとする世紀末到来派も一定数いる。私はそうした悲観的な考えは持ち合わせていない。あれは三年前の2月2日のことだった。

 寒い日が何度も続いていた。そろそろ突然に海日和が来てくれないかと思っていた矢先に突然舞い込んできたのはちっとも嬉しくない知らせだった。長野にいる祖母が危篤だとのことだった。私は慌てて祖母の元へと向かった。今日間に合わなければ、明日にはもう祖母のいない何月何日かになっているのかもしれない、こんな滅茶苦茶なことがあってたまるかと怒りを燃やしながら、北陸新幹線に揺られていた。なんとか2月2日のうちに間に合ったが、祖母にはたくさんの管が繋がれていて話をすることも出来なかった。親族の集まる病室で、私は祖母の薄く開かれた瞳を見つめ手を握った。それが2月2日の最後の出来事だった。日付が変わって3月4日になった。私達家族は祖母の家に居た。祖母を探すと自室で床に就いており、健康そうな寝息を立てていた。一体いつの3月4日なのだかわからなかったが、過去に戻る事例は今までなかったので、とにかく祖母の生きる未来を確信し家族一同大いに喜び、就寝することにした。部屋が沢山はなかったので、私には雛人形の飾ってある部屋があてがわれた。祖母の家では毎年必ず五段飾を出していて、私は総勢十五名の人形達と共に一夜を過ごすことを余儀なくされた。不気味だなとは思いながらも、長旅の疲れもありあっさりと眠りにつくことが出来た。太陽も高くなった頃、しっかりと睡眠をとってから起きると一般に目を疑うような光景が広がっていた。雛飾りが動いていたのだ。雛飾り達が協力しながらお内裏様とお雛様を最上段から降ろしていた。自分達の役目はもう終わったのだからといった具合でなんだか焦っているようでもあった。もう既に世界は十分にしっちゃかめっちゃかだったので人形が動こうがもう驚くこともなかった。まじまじと見つめているとお雛様と目が合った。おせっかいだったかしら、とでも言いたいのかお雛様は恥ずかしそうにはにかんでみせた。その時私は合点が行った。二階には女子高生になる姪が眠っている。私はこの姪をとても可愛がっていたが、きっと雛飾り達も、姪のことを可愛く思ってくれているのだろう、姪の嫁入りが遅れてしまうことを心配しているのだ。こんな破茶滅茶なご時世なので結婚などしなくても一人で逞しく生きていって欲しいと思っているが、幸せな結婚が出来るのであればそれに越したことはない。世界もきっと私と同じように姪を思っていてくれている。世界は私達に好意的に動いてくれているのだ、私は3月4日にそう感じたのだった。

 いつかパズルのピースが綺麗にはまるのだと信じている人達は、翌日自分の資産がどうなろうが構わず働く。気温や日の出の時刻、星座の位置などから予想され公式発表されている日付(暫定的)に基づいて、その日なされるべきことをするのだ。次に訪れるその日には別々の道を行くのかもしれない恋人達も、いつか訪れる「本当の明日」のため今この時に愛を伝えるのだ。居るべき場所に居る。言うべきことを言う。いつか「本当の明日」の自分にバトンが渡されるその時のために。

 私は四、五年ぶんくらいの日付を覚えていられる抜群の記憶力を活かして、頭の中で小説を書いている。勿論、小説の舞台はこの滅茶苦茶になってしまった世界だ。いつかパズルのピースが元通りになったその時に、全てを紙に書き起こそうと、そう思っている。いつ全てが元通りになるのかもわからない。何せ今日は7月25日からきっかり一年経った素晴らしい7月25日なのだ。

 頭の中で書き留めている小説を、記憶に刻みつけるために頭から推敲し直す。これももう繰り返し続けて何度目かになる作業だ。眠りにつく前には必ずこの作業を行う。記憶力には自信があるが、私は石橋を叩いて渡る性格なのだ。今日もまた推敲を終える。今日も無事に終わり、また別の日が訪れる。さあ、7月26日がそろそろハローと歩いてくるんじゃないのかな。

 時計の針が00時00分をさす。窓の外では雪がちらついていた。

 

 

おしまい。

犬について

 

スヌーピーを盲目的に愛している母に付き添ってスヌーピーミュージアムへ行った。

 

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展示内容が変わるごとに訪れているので(かれこれ6、7回目)そろそろ一人でも行けるようになって欲しいとは思っているが。田舎から出てくる母にはTOKYOが難し過ぎるらしい。

 

チャーリー・ブラウンスヌーピーを愛しているように、古来より人々は犬を良き友として苦楽を共にしてきたが、わたしも犬がとてもとても好きだ。特にデカい犬が好きだ。

 

彼らは自分のすべきことをきちんと理解している。実家にいる愛犬は、姉が甥を身ごもっている間、毎晩そのお腹にピッタリと寄り添って寝ていた。当時わたしの家には、両親と長女夫婦、次女夫婦とわたしの7人が暮らしていて隣には祖父母も住んでいたので、9人プラス1匹の群れを成していたわけだけれど、愛犬は自分の群れの中で誰を気にかけてやるべきなのか常に確信を持っていた。

彼らは自分がどうすべきなのかよくわかっている。共に暮らす人間が何を求めているか。それを指示として表に出さなくてもわかる。人間自身がそれを自覚していなくても。

勿論、彼らがすべきことは人間が求めていることばかりではない。土が彼らを呼ぶので庭に穴をたくさんこさえるし、チキンが彼らを呼ぶのでちょっと食卓から失敬したりする。彼らは自分のなすべきと「思う」ことに大変忠実である。(そのためしょんぼりするまで怒られるはめにもなる)

わたしは彼らのそういう愚直なところがとても可愛いと思う。

 

あるいは。その自らの体を思い通りに動かせる様がとても好きだ。と言うよりはむしろ羨ましくて仕方がない。わたしはこのために犬になりたいとさえ思う。

自分の体高の何倍もの高さまでジャンプしたり、ロープのおもちゃをぐいぐいと力強く引っ張ったり。特に思い切り走る様子が本当に素晴らしいと思う。前脚が地面を蹴る。その前脚に後脚が届くくらい、しなやかに胴が曲がる。直後、後脚がまた地を蹴る。同時に前脚が大きく前方へと伸びてまた地面を捕まえる……

現在は犬を飼える状況にないので、合法的にナマの犬が走る姿を見るすべがない。近場のドッグランは人間だけだと入場出来ないのだ。犬同伴でないといけない。悲しく思う。散歩をしている犬達は近所でたくさん見られるけれど、わたしは、自在に四肢を動かし駆け回る犬の姿が見たいんだ。先月は犬の動画を見過ぎて通信制限がかかってしまった。癒しを求めていたんだね。近い将来、素敵な相棒を迎えてドッグランに入りたいと思う。

 

実家で少しずつ老いていく愛犬と、いつかわたしの良き友となってくれる未来の相棒を思いながら、Amazonプライム・ビデオに追加された『僕のワンダフル・ライフ』をウォッチリストに入れる。

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劇場でおいおい泣いてしまったので、家で観たら大変なことになるだろう。邦題以外、全てがサイコーの映画だよ。

 

A dog’s purpose 

 

おしまい

 

主人とタイムマシンについて

 

「身内のブログを読むのが好き」だと主人が言う。義父のブログを探し出してこっそり読んでいたような人なので(なんならTwitterのアカウントまで捕捉していた)、まあそう言うのならそうなんだろうと思うのだけれど、曰く、「私とのことを楽しく赤裸々に書いて、つられて楽しくなりたい」とのことでわたしとしては本当にいいのか?泣いてやめてって言っても知らんぞ?という感じ。赤裸々、ねえ?

 

というわけで、リクエストにお答えして主人についての話をする。

わたしは常々もしタイムマシンがあったら、色んな年の頃の主人に会いに行くのになと思う。

義両親(めちゃめちゃ好き)に心から感謝していることの一つに、実家を出る主人に自分のアルバムを持たせてくれたことがある。2冊に渡って主人の成長を追うことが出来るのだけれど、どのページを開いても可愛い主人が出てきて本当に素晴らしい。わたしもいずれは、最終的に我が子のパートナーに見てもらうために我が子を激写していきたい。

そのアルバムを捲る度にわたしは、何故まだタイムマシンが発明されていないのだろうかとやきもきする。

 

主人がオギャアオギャアの頃に会いに行って、指をぎゅっと掴まれたい。生理的に微笑まれて生理的微笑であると認識した上で、ああ笑っている、ウフフと浮かれたいのだ。

 

小学生の頃に会えたなら。スターウォーズの話をして、ところどころ「違う、それはそうじゃない」と訂正を入れられたい。そしてわたしは、ごめんごめん、わたしは一回ずつしか見たことないんだよと弁明をする。するときっと小学生の主人は「しょうがないなあ」という顔をして一から教えてくれる、多分ね。

 

中学生の主人。最近新しいエピソードが追加された。木の板にはんだごてで焼き目をつけて絵を描く、あの、はんだごての技術を身につけるためにほとんどみんな一回はやるやつ。あれで中学生の主人は、新潮文庫ファウストの下巻を描いたらしい。

これだ。

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涙が出るほど愛おしい。中学生の主人。これめちゃめちゃかっこいいと思って、心鷲掴みにされたんだろうな。これしかない、と思ったのかな。すごくわかる。わかる、わかるよ。これは厨二病ごころをくすぐられるな?

つい最近、ふと思い出したとでも言うように主人はこのエピソードを話してくれた。「我ながら痛々しい」と笑いながら。わたしが、板だけに?と聞くと、もう笑ってなかったけど。

文庫にトレーシングペーパーを被せて、ゆっくりゆっくりなぞっていたんだろうか。もしそこにわたしがいたら、右手の小指側の側面の、鉛筆の炭で真っ黒になったのを、湿らせたハンカチでそっと拭ってあげたいと思うよ。

 

高校生の主人は、相当尖っていたらしい。頷ける。今ですらとてもひねくれてる人なので、そら(田舎の進学校にこんな頭の良い奴が閉じ込められてたら)そう(斜に構えたお子さんにもなる)よ、と思う。生意気な18歳の主人には、わたしがあなたの未来の奥さんなのよと教えたい。おそらく「は?」って言われる。そうしたら、その遠視と乱視の眼鏡を外して、綺麗なお鼻にくっつくくらいに顔を近づけて、楽しみにしててねと伝えたい。今のわたし達は楽しく愉快に面白おかしく暮らしているからね、だから楽しみに待っていてねと、そう言いたい。本当はもっとオトナのおねいさん的な誘惑をしたりなどもしたいんだけれど、やっぱりいたいけな未成年に手を出すのは憚られるので(妄想の中なんだけど)、誘惑するのは今の主人だけでいいやと思う。乞うご期待!と言い残してわたしは去っていく。きっと18歳の主人は、ポカンとしてわたしを見送る。長いタイムトラベルを終えたわたしは主人のもとに帰る。わたしより二つ年長の、フタエノキワミっぽくキスをしてくる主人のところに。(歳がバレる)

 

こんな感じでどうだろうか。主人よ。わたしと出会う前から、わたしの知らないところで、同じ時期に、主人は逞しくのらりくらりと生きていたんだというその事実に、当たり前なんだけど、こんなこと本当にあるんだとそういう気持ちになる。すごいね、ご主人。

 

支点を板に吊るしてギリギリ太るカレーセット🍛

おしまい。

 

 

 

 

 

 

 

最近見た映画のこと

お題「最近見た映画」

 

お題があると書きやすい。

 

ブラックパンサーを観に行った、3/4に。日本での公開日は3/1だったので、公開した週の土日に観ることが出来た。

グレイテスト・ショーマンも、金曜日公開だったがその次の日の土曜日に観た。良い調子だ。それもこれも主人がTwitterなどでネタバレを喰らうのを恐れているからだ。いいぞいいぞ、インターネット。頑張れ頑張れ、インターネット。

以下ネタバレ

 

 

ブラックパンサーのこと。

とても「現代的」な作品だなあ~と感じた。オコエやナキアを筆頭に女性が激しく逞しく戦う姿は少しゴリゴリのおフェミを感じてしまったが(ヒーローに対しての逆張りが過ぎるのでは)、強い女性は美しくサイコーだったのでもうオールオッケーだ。ワカンダフォーエバー。キルモンガーくんの憎みきれない出自もまた陛下の人の良さを引き立たせていた。敬愛していた先代をキルモンガーの一件ですぐに責められるのは王の器。陛下素晴らしい。人格者過ぎやしないか??

 

グレイテスト・ショーマンのこと。

圧倒的な良さがあった。みんな "This Is Me"をべた褒めしてるので言いづらいけど、個人的には "Never Enough"の方がグッとくるものがあった。わたしは同じような境遇・コンプレックス・出自の人間同士が引かれ合う様にめっぽう弱い。「同じ旗のもと」というか。なのでバーナムの生まれや育ち、自身が所詮成金だということに対するコンプレックスが見ていて痛々しいほど共感できたし、可愛い娘があんな扱いを受けていたらねえ、観客に「本物」を見せてやりたいと言ったときのバーナム、そして「本物」と言われたジェニー・リンド……

 

良さが過ぎて語彙が失われてきたのでおしまい。

中部台運動公園のこと

 

 

なんだか最近記憶の捏造も記憶がこぼれ落ちていくのも激しいので、わたしの主観的事実を書き留めておきたくなった。

 

父はよく幼いわたしを中部台運動公園に連れて行ってくれた。

だだっ広い公園だった。別に三重では緑豊かなことなんて有難くもなんともないのだが、この公園にはSLが見れたり、他の追随を許さないほど面白いアスレチックがあってわたしはこの公園が大好きだった。

ただあまりにも敷地面積が広すぎて、わたしはアスレチックがある公園の奥の方まで辿り着く頃にはもう既に少しバテていた。姉とは違って運動が得意ではなかったのだ。

 

確か公園の帰りにいつもスーパーに寄って夕飯の材料を買っていた気がする。まだ若かった頃の父はあまり地元のスーパーは使いたがらなかった。おそらく職場の人間や顧客に出くわすのが嫌だったんだろう。それで、公園で遊んでから家からは遠いスーパーに行っていたのだったかと思う。

 

わたしはまだ遊び足りなくていつも帰り際に愚図るのだが、自販機でビックルを買ってもらって渋々帰っていた。まだビックルがペットボトルで販売してなかった頃の話だ。飲み口に口をつけたときの瓶独特の冷たさはまだ思い出せる。

 

後のことはもうあまり思い出せない。おしまい