二千円(税抜き)で髪を切ったことと大人な私について

 

私はその昔、めちゃめちゃ髪が長かった。臍くらいまであったかと思う。何度かバッサリとボブくらいに切ったこともあるが、そのたびに再び伸ばして伸ばして伸ばしきっていた。だから髪がめちゃめちゃ長かった「その昔」というのは二年前のことでもあり四年前のことでもありはたまた七年前のことでもある。記憶が正しければね。

3歳の頃ぶりにショートカットにしたのは今年の1月下旬だ。また伸ばしたいという気持ちもありつつも、そこそこ評判も良く、日頃の手入れの楽さに病みつきになってしまいもう9ヶ月短いまま過ごしている。そろそろ首元が寒くなってきた。また季節が一巡してしまう。

1月の下旬、私の髪を素敵にショートカットにしてくれたお店はカットが六千円だった。それはそれは良いお店で、およそ20年ぶりのショートヘアがとても気に入ったのはその店員さんの手腕によるものなのだけれど、いかんせん私にはお値段が高過ぎた。ショートって維持するのが大変なんだね、知らなかったよ。ひと月半にいっぺん六千円(プラス税)飛んでいくのは懐にちょっと厳しかった。はてさてどうしようかなと思っていた時、主人(シャイ)が通い慣れた美容院を変え、開拓する決意を固めた。彼もまた、毎月のカット代にしばらく頭を抱え続けていたのだ。私は近所に出来たカット二千円のお店を試しに勧めてみた。

http://www.fasssalon.com/concept/

ここだ。

予約も要らない!飛び込みOK!なんて画期的なシステムだろうか。切り終えた主人を見ても正直今まで通っていた店とそこまで差はないのではないかと感じた。女性客も居たと言うので、私も試しに行ってみることにした。ひと月半毎に行くと言っていたのにもう2ヶ月半をゆうに超えていて前の店に行くには大変気が重かったのだ。

そんなこんなで私は税抜き二千円で髪を切ってきた。シャンプーしないだけで、受付が簡素なだけで、本当に二千円でいいのだろうか。お店の経営が心配になるくらい十分に満足出来る仕上がりだった。

美容院の予約ってのが私は本当に嫌だった。事前に予約をして、その時間に美容院に行かなければならないというのがとても苦痛で、だってその日その時間にならないと髪を切りたい気持ちになっているかどうかがわからないじゃないか。切りたいと思ったその時が切りたい時なのだ、電話をかけた時はそうであっても、店に行く時もそうとは限らない。シャンプーの時間も嫌だった。心もとない薄いコットン(?)で目元を隠されて、そのすぐ向こう側では私の髪をキラキラお洒落な美容師さんが洗っている、手持ち無沙汰で、無防備な状態で、特に話すべき話も思いつかない。そんな時間が私はとても苦手だった。とにかく私は美容院というものが苦手で、いつも美容院ジプシーなのだった。

私はここ最近本当に自分の見た目に頓着しなくなった。早々に結婚も果たしてしまった今、特に美しくなりたいという動機もない。髪を切った当日は、朝起きて、溜まりに溜まっていた家事をこなして慌てて家を出てきたのでなんと素っぴんのままだった。それでもなんの問題もなかった。むしろ肌が綺麗だと褒めてもらえた。お世辞だろうけど。美容院で髪を切り終えた後、すぐに家に帰るのに色々を髪につけてセットしてもらうのも苦手だったのだが(私にはそれを断るのすら難しかった)、セットなんかしてもらわない。何故なら私は素っぴんでやって来ていて、この後家に帰るだけなのは明らかなのだ。むしろ家に帰ってすぐに自分でシャンプーしたかった。ちなみにこの日美容師さんと話したのは、どれくらい切りたいのか、その店に来た経緯と家族で共有出来るというポイントカードの話、それと家が近いということだけ。後はずっと押し黙っていた。それが心苦しくもなかった。他のお客さんも特に会話を楽しんでいるわけではなさそうだった。店内は静かでハサミの音が響いていて、そこにいるのは髪を切るため、ただそれだけの人たちばかりだった。お客さんは勿論、美容師さんも、ひょっとするとそうなのかもしれないと思った。

控えめに言ってサイコーだった。浮いたお金で文庫本を二冊買った。(主人よ、来月以降は節約するのでどうか許して欲しい。)なんて私は自由なんだろう、そう思った。2,160円で髪を切り終えた後の私は言いようのない開放感に満ち溢れていた。

 

今日、小学六年生の女の子が「大人になりたくない」と冗談交じりに言ってきた。秋は急に深まるし、卒業を控えて物悲しくなるのも無理はない。そうだよね、卒業寂しいよねとは言ったものの、私は高らかに断言してみせた。「でも私は大人になってからの方が楽しいよ」「大人ってめちゃくちゃ良いよ」

私は髪を二千円で切ったけど、それが偉いわけじゃなくて、二千円でも千円でも、五千円でも一万円でもいい。いくらかけて髪を切ったってなんだっていいのだ。そういうところに大人の醍醐味があると思う。自分で選び取ることが出来るっていうのは何事にも代え難い喜びだ。

私は嘘偽りない気持ちを彼女に伝えた。大人ってのは全くもって素晴らしい。これからも大人って良いものだと触れ回りたい。良いものである「大人」であり続けたい。そうするのが、これから大人になる子ども達に対して一番真摯に向き合う方法だと思うのだ。

 

これから大人になる皆さん、心配せずに大人になって下さい。大人ってのはサイコーです。読んでくれている大人の皆さん、ねえ、そうでしょう。そうだと言ってくれよな。

 

 

おしまい