1年前のきょう

 

 7月25日か。窓の外を見遣って、ああなるほどね、得心する。今朝起きてからずっと感じていた懐かしさのその理由を知る。一年ぶりの、7月25日だ。7月25日が懐かしい、勿論その気持ちもあるが、一年前からきっかり一年経って同じ7月25日がやってきたことに郷愁を覚える。今やもう何もかもがかけ離れてしまった、秩序だった「正確」に。

 カレンダーがカレンダーとして機能しなくなってから何年経ったかわからない。何故ならありとあらゆるカレンダーがバカになってしまったので、誰一人過ぎゆく時を正確に数え上げることが出来なくなってしまったからだ。より正確にはカレンダーがバカになってしまったのではない。バカになってしまったのは世界の方だそうな。何年か前だかの4月1日の明日に、やって来たのは4月2日ではなく8月7日、立秋だった。それまでの麗らかな春の陽気とは打って変わっての真夏日に日本列島は混乱した。当然だ、その日は全世界が4月2日だと思いこんでいた。しかしその暑さの原因は地球温暖化でも太平洋高気圧でもなかった。その日、昼と夜の長さとがほとんど同じだということに気付いた人間はあまりいない。世界の変化はあまりに唐突に訪れて、そこら中を歩いて予想もしなかった暑さに喘いでいる人々は日の出、日の入りを観測したりなどしていなかったから。その日は日の出も日の入りも、正しく4月2日であったとしたら到底ありえない時間に起きていた。計測器に異変が起きたのか、全国の気象関係者はそう考えたかもしれない。この気候変動は一体どういうことなのか、殺到するマスコミに答える言葉もなく頭を抱えただろう。しかし後になって気付いてみれば簡単なことだった。4月2日ではなく8月7日が来た、ただそれだけのことだった。

 勿論、現実は「ただそれだけのこと」なんて言葉では片付けられない事態だった。今でこそ人々はこの出鱈目な毎日に完璧に順応しているが(人類はほんとうに逞しい)、当時は天地がひっくり返ったような状態そのものだった。蝉が鳴いた次の日に雪が積もり、また次の日には土筆が土から頭を出した。はじめ人類は、気候がめちゃめちゃになっているのだと考えた。しかしどうやらそうではないと気付くのにあまり時間はかからなかった。タンスの中身が毎日気候に合わせて夏服、冬服、また夏服と入れ替わっているし(対応して押入れの収納の中身は冬服、夏服、冬服となる)、23時59分まで寝苦しい熱帯夜だったのが、日付が変わって00時00分になった途端、街にクリスマスツリーが出現し、辺りが星やサンタクロースのオーナメントや赤やら緑やらで飾り付けられたりした。どうやら12月の何日かがそっくりそのままどこからともなくやって来た、そういう風にしか解釈出来なかった。勿論クリスマス商戦に街が湧いたのはその日っきりで、その次の日はまた別の季節のどこかの一日がやってきた。その繰り返しだった。小説家の書き進めている原稿も、学生が熱心に板書したノートも、ビジネスチャンスに繋がるビッグデータだって、全ての情報が一日一日の連続性を失っていた。これが書き留めても書き留めても世界がおかしくなってから一体どれだけの時間が経ったのかがわからない所以だ。当然と言えば当然だ、7月31日に上書き保存したファイルは、どこかに行ってしまった8月1日には同じフォルダに収まっているだろうが、7月31日と8月1日が連続してくれない。唯一連続するものは、人々の頭の中のものだけだった。(それも「忘却」という機能のせいで大変心もとないのだが)

 集団催眠だとか、陰謀論だとか異星人の侵略行為だとか諸説飛び交っていて、何年か経った今でも解明出来ていない。いつしか人々は何故世界がこんな風になってしまったのかについて考えることをやめてしまった。なんだっていいんだ。何が原因だろうが、毎日はバラバラにやってきて、それはいつかどこかにいる「本当の明日」に繋がるのだから。ちなみに私が一番支持している説はこうだ。我々のこの世界は、我々よりも大きな存在が遊んでいるパズルであり、一日がその一ピースにあたる。ある時キッチリはめられていたいくつものピースがひっくり返ってバラバラになってぐちゃぐちゃに配置された。それが今の世界で、大きな存在は今現在、ちまちま地道にパズルをやり直しているのだろうと。この説を信じている人は少なくない。ちなみに、その大きな存在は崩れたパズルを放棄したのだとする世紀末到来派も一定数いる。私はそうした悲観的な考えは持ち合わせていない。あれは三年前の2月2日のことだった。

 寒い日が何度も続いていた。そろそろ突然に海日和が来てくれないかと思っていた矢先に突然舞い込んできたのはちっとも嬉しくない知らせだった。長野にいる祖母が危篤だとのことだった。私は慌てて祖母の元へと向かった。今日間に合わなければ、明日にはもう祖母のいない何月何日かになっているのかもしれない、こんな滅茶苦茶なことがあってたまるかと怒りを燃やしながら、北陸新幹線に揺られていた。なんとか2月2日のうちに間に合ったが、祖母にはたくさんの管が繋がれていて話をすることも出来なかった。親族の集まる病室で、私は祖母の薄く開かれた瞳を見つめ手を握った。それが2月2日の最後の出来事だった。日付が変わって3月4日になった。私達家族は祖母の家に居た。祖母を探すと自室で床に就いており、健康そうな寝息を立てていた。一体いつの3月4日なのだかわからなかったが、過去に戻る事例は今までなかったので、とにかく祖母の生きる未来を確信し家族一同大いに喜び、就寝することにした。部屋が沢山はなかったので、私には雛人形の飾ってある部屋があてがわれた。祖母の家では毎年必ず五段飾を出していて、私は総勢十五名の人形達と共に一夜を過ごすことを余儀なくされた。不気味だなとは思いながらも、長旅の疲れもありあっさりと眠りにつくことが出来た。太陽も高くなった頃、しっかりと睡眠をとってから起きると一般に目を疑うような光景が広がっていた。雛飾りが動いていたのだ。雛飾り達が協力しながらお内裏様とお雛様を最上段から降ろしていた。自分達の役目はもう終わったのだからといった具合でなんだか焦っているようでもあった。もう既に世界は十分にしっちゃかめっちゃかだったので人形が動こうがもう驚くこともなかった。まじまじと見つめているとお雛様と目が合った。おせっかいだったかしら、とでも言いたいのかお雛様は恥ずかしそうにはにかんでみせた。その時私は合点が行った。二階には女子高生になる姪が眠っている。私はこの姪をとても可愛がっていたが、きっと雛飾り達も、姪のことを可愛く思ってくれているのだろう、姪の嫁入りが遅れてしまうことを心配しているのだ。こんな破茶滅茶なご時世なので結婚などしなくても一人で逞しく生きていって欲しいと思っているが、幸せな結婚が出来るのであればそれに越したことはない。世界もきっと私と同じように姪を思っていてくれている。世界は私達に好意的に動いてくれているのだ、私は3月4日にそう感じたのだった。

 いつかパズルのピースが綺麗にはまるのだと信じている人達は、翌日自分の資産がどうなろうが構わず働く。気温や日の出の時刻、星座の位置などから予想され公式発表されている日付(暫定的)に基づいて、その日なされるべきことをするのだ。次に訪れるその日には別々の道を行くのかもしれない恋人達も、いつか訪れる「本当の明日」のため今この時に愛を伝えるのだ。居るべき場所に居る。言うべきことを言う。いつか「本当の明日」の自分にバトンが渡されるその時のために。

 私は四、五年ぶんくらいの日付を覚えていられる抜群の記憶力を活かして、頭の中で小説を書いている。勿論、小説の舞台はこの滅茶苦茶になってしまった世界だ。いつかパズルのピースが元通りになったその時に、全てを紙に書き起こそうと、そう思っている。いつ全てが元通りになるのかもわからない。何せ今日は7月25日からきっかり一年経った素晴らしい7月25日なのだ。

 頭の中で書き留めている小説を、記憶に刻みつけるために頭から推敲し直す。これももう繰り返し続けて何度目かになる作業だ。眠りにつく前には必ずこの作業を行う。記憶力には自信があるが、私は石橋を叩いて渡る性格なのだ。今日もまた推敲を終える。今日も無事に終わり、また別の日が訪れる。さあ、7月26日がそろそろハローと歩いてくるんじゃないのかな。

 時計の針が00時00分をさす。窓の外では雪がちらついていた。

 

 

おしまい。